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徐家、中国武術の歩み
徐其成とその家族の歴史
夫婦
徐家・長男
欒孝娟(ラン,コウエン)
18歳の頃から徐其成について武術を習い、プロとして活躍。
上海体育大学全国プロフェッショナルコーチ育成コース卒業。
国家高級監督、国家一級審判員。
現職は、遼寧省武術館主任監督、丹東市少林秘踪拳研究会名誉会長など。
1960年~ 遼寧省、市武術競技会にて、拳術3種目優勝、剣術、形意拳、四路奔打拳、八仙剣、形意拳3種目、風魔掌優勝など。今もなお沢山の競技大会に出場し、今まで獲得した金メダルの総数は100枚以上に上る。
1971年から、瀋陽市武術チームの監督に就任。
指導期間中に、選手たちは個人種目にて計400個の金メダルを獲得し、団体優勝、約200回の成績を残す。
中国民間武術家名典、中国伝統武術10人の優れた指導者、瀋陽市の10人の優れた指導者に選ばれる。
兄弟・弟
幼少の頃から徐其成より武術を習い、プロとして活躍。
徐其成とともに朝鮮民主主義人民共和国にて演武などをし、後にロシアにて武術を伝授。
遼寧省体育館館長を定年退職後、現在も武芸の道に励む。
欒孝彦(ラン,コウゲン)
姉妹・妹
欒孝麗(ラン,コウレイ)
8歳の頃から姉と共に徐其成より武術を習う。
1972年 遼寧省武術チームに入隊、選手として活躍。
1973年~ 遼寧省武術競技大会にて、剣術優勝、拳術第5位、刀術優勝。1990年 遼寧省伝統武術競技大会にて、全種目優勝。2012年 香港国際武術競技大会にて、剣術優勝、八卦掌優勝、他。
得意種目:八仙剣、八卦連環掌。
現職は、遼寧省武術館チーム監督、丹東市社会人チーム監督、メープルリッジ・インターナショナルスクール子どもチームコーチ。
長年に渡り徐家のチームを支え、武術の発展に貢献してきた。大人から子どもまで、分かりやすい指導には定評があり、チームの影の功労者である。
徐言平(ジョ,ヤンピン)
1971年生まれ。幼少の頃から徐其成より武術を習い、13歳から北京体育大学競技学校に入学、プロ選手として活躍、大変優秀な成績を収める。
その後、北京体育大学入学・卒業。
現在は遼寧省公安司法管理幹部学院(警察学校)で副教授(教官)として武術の実戦指導を行う。
1984年瀋陽市武術競技大会にて、伝統拳術・自選長拳、各優勝
1986年中国全国少年“武士杯”プロの武術競技大会にて、自選長拳・自選刀術・自選棍術、各優勝
1987年中国全国少年“武士杯”プロの武術競技大会にて、自選長拳・自選刀術・自選棍術、各優勝
1988年中国全国少年“武士杯”プロの武術競技大会にて、自選長拳・自選刀術・自選棍術・蟷螂拳、各優勝(全種目1位)
1990年中国全国武術競技大会にて、武英級の称号を得る(最高級の称号)
1992年中国全国体育学院武術競技大会にて、三節棍・蟷螂拳、各優勝、その他優秀な成績を収める
1995年武術套路一級審判員取得
次男
言平・娘
幼少の頃から、祖父母に武術を少しずつ仕込まれ、只今、修行真っ最中??
将来が楽しみです!
◆ 徐家・写真とエピソード
王子平老師と徐其成中国で最も有名な武術家・王子平(オウ,シヘイ)老師に徐其成が師事していた時の写真です。徐其成は20代の頃、膝の負傷を抱えていましたが、中医にも精通していた王子平老師の治療により、回復しました。 | 欒姉妹、表演写真仲の良い姉妹であり、武術家である欒姉妹の表演時の写真です。二人は生涯に渡り徐其成と共に歩み、大勢の生徒に武術指導を行い、優秀な選手を沢山育てました。 | 文化大革命時、双刀の技を披露する徐其成文化大革命の時期、工員・農民・兵士の人々の前で、徐其成は幾度にも渡り表演を行いました。政府の政策によるこうしたスポーツ推進運動が、頻繁に行われていました。 |
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第11回アジア競技大会に参加2年に一度開催されるアジア大会が、1990年に北京で開かれ、徐言偉と言平はオープニングセレモニーに参加・表演を行いました(左が言偉、右が言平)。この時二人は北京体育大学の学生でした。 | ホワイトハウスにて武術表演1974年、米中の国交樹立を記念し、中国政府が第三回目の訪米を果たした時の写真です。 6月3日~7月24日、郭雷(カク・ライ)氏が率いる、中国武術代表団38名が訪米、徐其成は武術チーム隊長として、数十名の選手と演武を行いました(この時ジェット・リーも選手に含まれていました)。 当時のアメリカ大統領などがホワイトハウスにて接見、外庭で武術の表演を鑑賞しました。 (右から3人目が徐其成です。) この写真は中国武術史に残る、大変貴重なものです。 | ジェットリーに追風刀を指導徐其成は、若かりし頃の李連傑(ジェット・リー/武術家・アクション俳優)に、追風刀(ついふうとう:無形文化財)などの刀術を指導しました。 彼の刀を始めて指導したのは徐其成で、このことにより、ジェット・リーは中国全土で優勝を収めるなどの功績を残しました。 その後、彼は『少林寺』という映画の中で、追風刀を披露しています。 |
北海道にて武術指導徐其成は幾度にも渡り、北海道新生日中協会に招かれて、武術指導を行ってきました。その交流は現在まで続き、優秀なコーチや選手が沢山育ち活躍しています。(前から2列目、右から7番目の真ん中が徐其成) | ブルース・リャンさんと徐其成アクション俳優のブルース・リャンさんが、公演の為瀋陽市を訪れた際、徐其成が接待をいたしました。リャンさんは、沢山のカンフー映画に出演している名優で、日本でも公開された映画「カンフーハッスル」の火雲邪神(殺し屋)役でも活躍されています。 | カンフー映画に出演徐言偉、言平は、北京体育大学の学生の頃、紫禁城で行われた映画撮影にエキストラで参加しました(前から3列目一番左が言偉、2列目の右から2番目が言平)。沢山の学友と共に実際に頭を丸刈りにし、辮髪を付けて臨みました。 |
文化大革命時、公園にて武術指導を行う文化大革命の時期、毛沢東主席の指示により青少年の体育推進運動が広められ、徐其成は体育委員会のもと、多くの少年少女に武術指導を行いました。 | 全国優勝を果たした頃の徐言偉1981年、中国全土のプロの伝統武術大会にて、徐言偉が蟷螂拳で優勝した時のものです(写真手前)。この時は13歳でした。後ろの男性は、南拳にて同じく優勝した選手で、この写真は瀋陽市の新聞に掲載されました。 | 子供達に武術指導徐其成と妻の欒孝娟・孝麗は今まで沢山の子供達と大人の生徒に武術指導を行い、普及に務めてきました。その人数は1000名以上、試合にて生徒が獲得したメダルの数は、金メダルだけでも約400個になります。 |
中国軍にて武術表演文革時、政府の呼びかけにより様々な場所でスポーツ推進運動が行われ、徐其成も中国軍の前で表演を行いました。この時は銃を武器にしての対練でした。 | 日本での武術公演徐言偉は10代の頃、遼寧省武術チームの一員として幾度も来日し、中国武術の公演を行いました。それは全国に渡り、札幌・静岡・京都・神戸・大阪・四国などに及び、新聞等に度々取り上げられました。(上写真:左から2番目、新聞:左が徐言偉) | 映画「南拳王」に出演カンフー映画「南拳王」(1984年作)に、徐其成が出演した時の写真です。 この時は悪党のボス役として、カンフーの技を披露しました。 南拳王は和訳され、日本にも配給されました。 |
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